レモンのような

俺はレモンが好きだ。
小さい頃からそうだった。レモンのおもちゃしか握らなかったし、初めて食べたのはレモンだった。愛読書は『檸檬』、梶井基次郎先生の名作である。小さい頃、母親が絵本代わりに読んでくれていたものだ。今考えたら、どうかしている母親だった。
とにかく、レモンが好きだ。
そんな訳で、俺は毎日レモンを食べている。飲む時もある。一日に10個は頂いてしまう。今日は12個。そして13個目以降を、今から買いに行くのだ。すでに日は暮れて、馴染みの八百屋さんは閉まっているけど、近所の大型スーパーはまだ営業しているはず。逸る気持ちを押さえながらに、俺は歩き出した。

そして、2分程歩いたところで、俺は凄いものに出くわした。
………レモンだ。
レモンの神様が、道を塞いでいた。

…どうしよう。
レモンらしい涼やかな瞳。天使の輪の代わりに浮かぶレモンの輪切り。手に提げたバスケットには大量の美味しそうなレモン。他の人がどう言うのかは知らないけど、その少女は可愛らしかった。その唇が、動いた。
「私は、レモンの女神です」
「………」
言葉が出てこない。あまりにも、『それらしい』からだ。
数秒間の、沈黙。それを破ったのはレモンの神様の方だった。
「……相当レモンが好きなのですね」
ぽつりと。特に感情の込もっていなさそうな声が、とても良い。何か返さなくてはと言葉を紡ぐ。
「あ…ああ!大好きだ、愛してる!!全てを!!」
無駄に倒置法を使ってしまう位には大好きだ。すると神様は無表情で言った。
「ちなみに“レモン”は私の名前でもある訳ですが」
「そうなのか!?」
解釈によってはこれは初対面の人(というか、神様?)に告白したとも言えるのか。確かに、俺はレモンの女神様に一目惚れしてしまったけど。
「流石にさっきのアレを告白と受け取りはしませんよ。あなたは私の名前を知らなかった訳ですし」
「あ、良かった」
いくらなんでも神様にいきなり告白というのは駄目な気がする。
「ところで、あなたはレモンを欲していますね?」
「勿論!!」
俺の答えを聞いて、レモン様はバスケットを差し出した。俺は堪らずレモンを手に取り、かぶりつく。思った通りに美味しい。酸っぱさの質も度合いも最高で、これまでに食べたどのレモンよりも美味しかった。もうなんと言うか、言葉にならない。自然と視界が霞んだ。
「ありがとう……」
口をついて出たのは、まず感謝の言葉だった。
「珍しい人ですね。レモン…たかがレモンだというのに」
「何を言うんだ!! レモンだぞ!?地球上の食べ物の中で、いや地球上の全ての存在の中で、一番好きだ!」
俺は叫んだ。レモン様は嫌がるかと思ったけど、意外にも微笑んだ。すごく小さくだけど、笑った。
「珍しい人です」
ああ。
なんて可愛いんだろう。
俺はレモンが好きだ。
酸っぱいところが好きだけど、レモンは酸っぱいだけじゃない。すごく酸っぱくて、ほんの少し甘い。だから美味しいんだ。
レモンのような少女は、どこまでもレモンのように素敵だった。
俺も思わず笑顔を浮かべていた。
「また、来てくれるか?」
「…別に、構いませんよ」
少し目をそらせたレモン様は、頬がほんのり赤くなっていた。